前姫路市副市長
飯島 義雄
(いいじま よしお)
行政や防災のプロ、しがらみゼロ。

 

経歴

1959年    姫路市生まれ。城西小学校・白陵中・高卒業

1883年    東京大学経済学部卒業、総務省入省

1991年    愛媛県市町村課長

1993年    自治大学校教授

1994年    豪クインズランド大学・客員研究員

1995年    自治省大臣官房国際室課長補佐

1996年    パレスチナ選挙監視団派遣

1997年    自治体国際化協会北京事務所長

1999年    自治省財政局公営企業経営企画官

2000-2007年  福井県商工労働部次長・総務部長・政策幹・副知事

2008年    総務省消防庁防災課長

2010年    総務省自治財政局財務調査課長

2011年    姫路市副市長

2015年    姫路市社会福祉協議会理事長

2017年-現在  関西学院大学客員教授

 

昭和34年 姫路市城西校区の岩端生まれ。

生後1年6か月の私です。

岩端の借家に3人家族。父は自衛官、母は小学校の教師でした。
父母がいないときにお腹がすいて、炊飯器からご飯を食べました。帰ってきた父母が写真に残してくれました。家に風呂がなくお風呂屋さん通い、近所の方々に可愛がられ、風呂上がりのフルーツ牛乳の美味しさが今でも忘れられません。

  • 城西小、白陵中・高卒業
  • 昭和58東京大学経済学部 卒業 

旅行が好きで、各駅停車で全国旅行をしました。その時、地域地域で個性が違う美しい地方の雰囲気が大好きになりました。また、大学で地方自治を大切にした結果、発展したスイスが大好きになり、こうしたことから、自治省に入ろうと思うようになりました。

 

 

自治省(現 総務省)入省(地方自治に志す) 以来28年、国・全国で地域活性化にたずさわる
オーストラリア勤務(平成6年)、北京勤務(平成9年)、パレスチナ選挙監視団参加(平成8年)など、
世界数十カ国に勤務経験があります。

パレスチナ選挙監視団参加。

1994年には、オーストラリアのクインズランド大学に派遣され、客員研究員となり、オーストラリアの観光政策について調査研究しました。3歳の娘は幼稚園に入園し、現地の子供たちと言葉が通じなくても仲良く遊んでおり、子どもの無垢に仲良くなる能力に感心しました。

1996年のパレスチナ選挙監視団!に日本政府から派遣されました。東エルサレムの投票所を回りましたが、どこに行っても日の丸のユニフォームの私たちは大歓迎を受けました。タクシーに乗っても日の丸を見てパレスチナ人運転手は料金を受け取ろうとしません。「極東からわざわざ私たちを助けに来てくれた」と感謝されました。「顔の見える国際協力」の大切さを身をもって知りました。

1996年に自治体国際化協会に出向し、北京事務所を立ち上げました。中国に半官半民の事務所を作るのは困難を極め、立ち上げに当たり北京を30回訪問し、中国政府と交渉しました。

平成17福井県副知事

福井県は合計7年間も勤務しました。第二の故郷です。

福井といえば「越前そば」。蕎麦屋が競う福井県で、250軒以上の蕎麦屋を食べ歩いたのが自慢です。

福井県では、全く無名の三国湊を日本有数の観光地にしたのが自慢です。美味しい蕎麦、酒饅じゅう、町屋、祭りなど今ある魅力を磨き上げ、旅行代理店にPRしました。その結果、全国から注目される観光地になりました。

また、2004年(平成16年)7月18日未明から昼前にかけて、福井大水害が発生。県内、福井市を貫通する足羽川が至るところで決壊し激甚災害となりました。私は政策幹としてすぐに金沢の自衛隊に災害出動を要請しました。自衛隊員はすぐにやってきてくれました。

私の父は自衛官でした。私が小学生低学年のとき、同級生から「お前の父ちゃんは税金泥棒なんや」とからかわれることが何度かありました。からかわれたある日、帰宅して父が帰ってきました。

城西校区の家です。「父ちゃん、自衛隊は税金ドロボウなんか?」父は「お前もそう思うか?」と言って私に背を向けて黙々とお酒を飲み始めました。そのときの父の背中が忘れられません。

福井大水害のとき、自衛隊員は福井県の山奥の被災地に行って高齢者の避難誘導や家の泥かきをやってくれました。おばあさんが泣きながら自衛隊員に手を合わせました。にっこり返す若い隊員の笑顔が亡き父と二重写しになりました。今でも心ない言葉を父に申し訳なく思います。

また、福井県では北朝鮮から帰ってこられた地村保志さんご家族のお世話をさせていただきました。帰国直後は痩せて張り詰めたようなご家族も故郷で生活が安定するにつれ、笑顔が絶えなくなり、私も嬉しい思いをしました。

平成20総務省消防庁防災課長

全国の防災対策と消防団を担当しました。

全国の防災訓練参加。

 

チリ沖地震津波の際の住民の避難誘導を消防庁で指揮。

 

全国で唯一、軽の救急車を、姫路市の家島・坊勢島で運用するお手伝いをしました。

消防庁防災課長になり、全国の防災対策を担当しました。地震、津波、豪雨、土砂災害などの対策です。2010年2月のチリ大地震津波のときは、住民避難を迅速にお願いしました。

佐用町などで甚大な被害を出した平成21年台風9号災害では、現地に政府調査団で派遣され、避難所に行くことなく、建物の2階以上に避難する「垂直避難」の考え方の大切さをまなびました。

また、全国の消防団の担当でした。消防団は数が減少を続けており、その対策をやる中で、女性消防団員を増やすことを成功しました。

家島は山道で普通の救急車が入れませんが、私は地元の要望を受けて、全国で初めて軽自動車の救急車を家島、坊勢に導入。これまで多くの命をすくきたことが喜びです。

 

平成22総務省自治財政局財務調査課長

 

夕張市の財政再建と自治体への企業会計の導入を進めました。

夕張市の財政破綻をしたとき、市が実質的に負担しなければならない負債総額は632億円、市税収入は9億7000万円で負債総額の割合は65倍で夕張市の解消すべき赤字は、地方債残高を除いた353億円となっていました。

夕張市、北海道庁などと相談して再建にあたりました。

民間の企業会計の考え方を自治体会計に導入する調査研究を進めました。複式簿記にすれば、自治体会計から政策を立案できるようになります。私は研究会をつくり、研究を進めて、自治体会計の改革の基礎をつくりました。

当時のインタビュー記事はこちらから(活用段階迎えた「新地方公会会計」)

 

ふるさとに帰り、姫路市副市長(平成23年7月―27年6月)

姫路市をくまなくママチャリ自転車で回りました。書写の自宅から片道2時間半の山田町の公民館の前で。

 

家島も自転車でくまなく回りました。

 

危機管理担当副市長として、台風12号(平成23年)の際に10万人の避難勧告を行いました。徹夜の連続で、寝ぐせがついています。

 

大規模地震の際に威力を発揮する衛星無線中継車(価格1億円)を平成25年に国から姫路市にもらってきました。

 

 

人口の東京一極集中をストップする都市制度「連携中枢都市」を国に提案・実現しました。
姫路市は平成27年に連携中枢都市となり、毎年、数億円、国から交付金を受けて、播磨の8市8町で広域連携により地方創生を進めています。

 

播磨の広域連携では、1500万円の国の交付金をもらうことに成功し、播磨風土記の日本酒のふるさと播磨の日本酒を全国にPRしました。播磨の広域連携のゆるキャラ「もりりぃ」と。

 

平成27年度から、姫路市は連携中枢都市となり、地方創生の交付金を受けています。内閣府まちひとしごと創生本部で打ち合わせ。

 

姫路市社会福祉協議会・社会福祉事業団理事長(平成27年7月―29年6月)

姫路市社会福祉協議会の理事長として、過疎化の進む夢前町、安富町、香寺町に高齢者の買い物支援バスを運行させました。

 

姫路市副市長の際に、姫路市内をママチャリで回りましたが、社会福祉協議会の理事長となって2回目の市内回りを実現し、地域を知り尽くしました。廃校の山之内小学校の小畑分校舎。姫路市の北端の過疎化を実感。

 

姫路駅前からバスで1時間の安富町の関集落。
かかしが人口よりも多い地域。でも、左端は人間です。

姫路市長選挙に挑戦  ふるさと姫路で皆様と共に

平成31年4月21日投票の姫路市長選挙に立候補しましたが、落選。
しかしながら、84507票(有効投票数の44%)の力強いご支援を皆様からいただきましたことに感謝申し上げます。

 

現在は、関西学院大学大学院 客員教授 そして――

平成30年7月から「関西学院大学大学院・客員教授」として、地方創生を学生に講義しています。

 

市長選挙に敗れて以来、再度自転車で姫路市を回り続けています。

皆さんも自転車の私を見られたら、どうぞ手を振っていただきたいです。

 

趣味カラオケ

持ち歌「365日の紙飛行機